本学13号館にある法廷教室にはテミスあるいはユースティティアと呼ばれる「正義の女神像」が飾られています。片手に天秤(正邪の判断)を持ち、もう片方には剣(実力)を携え、さらに目隠し(平等)をした立ち姿はある種の恐怖を感じさせます。天秤の片方に乗ってしまったが最期、バッサリとやられてしまう。一人合点ですが、最後の手段としての法(ultima ratio legis)という言葉を具象化すれば、このような像になるのだなと思います。争いや困りごとがどうにもならなくなったとき、女神が現れ、有無を言わさず決着を付けてくれる。有り難いけども怖い。法というものに、こんな印象があることは否めません。
しかしながら、私たちの日常にある法は別の働きを見せてくれます。例えば、お腹を空かせた私がコンビニでパンを買い、それを食べて満足する。どうしてこのような事が可能なのでしょうか。私が空腹であるという事実、お店にはたくさんのパンがあるという事実、この二つの組み合わせから起こり得ることは無限に考えられます。つまり、世界は自分で体験できる以上の複雑性に満ちており、多くの不確実性を孕むものといえるのです。これを確からしいものにするため、人は貨幣を媒介とする交換や契約といった複雑性を縮減するシステムを作り上げて、そこに秩序をもたらしました。法もそうしたシステムの一つであり、人の行為や相互のコミュニケーションに先立ち、それを意味づけ、どのように振る舞うべきかの指針となるのです。
法学研究科では、より複雑性を増す社会環境のなかで、高度な法的知識と法的思考力を拠り所に自らの途を開いていく志を持った人を迎え、それを習得する機会を提供しようとしております。
法学研究科 研究科長
小西 由浩 Yoshihiro Konishi