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大学概要

米軍ヘリ墜落事件

学生による意見発表(2017年度)

文書
「伝えるということ」

総合文化学部 社会文化学科 4 年次
大城 穂

「伝えること」
 それは、人間が生きる中でもっとも大切なことだと思う。私が四年間の大学生活に学んだことである。
 大学での勉強で、自分の知らない知識・情報を文献から取り込み、自分なりにレポートとして伝えるという事。遊びで、自分が何をしたいのかを友人に伝えるという事。「伝えること」の前提として、自分の意見を整理したり、知識を取り入れたりするという「考えること」が必要である。どんなことでも、「伝えること」は自分の利益を少しでも多く獲得するために発言しているのだと思う。確かに、自分の意見、考えを伝えたとしても、自分の思うようにならず不満に思うことがあるかもしれない。しかし、考えを伝えることにより他者との考えの違いを理解し、互いの考えを昇華させることが私達にはできるのだ。
 さて、私のこうした考えは、大学での日常の中で特に力を入れた二つ出来事の中から形成された。
 第一に、教員になるための勉強である。今年六月、四年間の集大成である教育実習で母校である首里高校へお邪魔させていただき、世界史の授業を担当した。世界史を含む歴史科目は過去の事実を知り、そこから、今の問題点や反省点を知る教科である。教科の中で担当した中国史の中で登場した孔子の言葉に、温故知新と言う言葉がある。この言葉の通り歴史とは先人から私達現代人へのメッセージなのだと考えている。その先人からのメッセージを歴史の面白さだと考え生徒へ授業や学校生活の中で伝えようと努力した。具体的には、生徒の興味の深そうな内容について生徒に話し合わせることで関心を深める工夫をした。その結果、授業の中で授業内容に関して話し合う様子が見ることができた。また、実際に歴史の面白さが分かった等の声をもらうことができた。授業外でも、生徒が知識を伝え合うようになっていた。
 第二にサークル「スマイライフ」の活動だ。このサークルでは、主に県外の中高生を対象に修学旅行で平和学習のお手伝いを行っている。私がこの活動の中で最も大切にしていたのは、県外の生活と沖縄県の基地のある日常をリンクさせ、生徒に平和学習を通して沖縄を見る視点を持ってもらうことだ。そのために、沖縄戦や普天間基地の概要を説明することや、戦跡の案内を行った。私は、この活動の中で、自分の学んだ沖縄のことを伝えようと考えて望んでいる。しかし、自分の考えや苦しみを他者へ押し付けてはいけない。なぜなら、「沖縄県だけがかわいそうだ」と思ってほしくないからだ。沖縄の現状を正しく認識し最も客観的な視点で見ることができるのが県外の人だと考えている。沖縄県民の当事者としての意識を知ることで、今後の沖縄県に関心を持ち自ら情報を取り入れ自分の考えを形成する。そして、それを県外へ帰った後に、自らの考えとして周囲の人間に伝えて欲しいと思っている。
このように、「スマイライフ」の活動は、自分の意見を形成する手助けであり、そのために、観光地としての沖縄県のよい点だけでなく、様々な問題を抱える沖縄県を伝えること。これが、サークル活動の中で私が大切にしていたことだ。
 さて、私達沖縄県民は直面する諸問題に対して主体的でなければならない。特に、普天間基地移設問題に関して、普天間基地という非日常が宜野湾市民の日常が同居している、歪な現状がある。この現状を伝えるためにはまず、自分の考え・意見を作ることが必要だ。意見を作るには、現在の情報はもちろん、先人たちのメッセージをも蔑ろにすることはできない。将来教員になったとき、生徒に過去に目を向けない人間になって欲しくない。だから、私は歴史を教えていく。そして、沖縄県の未来を担う一人としては、歪な現状を孕む宜野湾市の状況を、ここ、沖縄国際大学から発信していきたい。
 最後になるが、二〇〇四年八月十三日にここ沖縄国際大学に米軍大型輸送ヘリが墜落、周辺住民には、恐怖と怒りを植え付けたことだろう。このことを決して過去のものにしてはいけない。そのために、この「米軍ヘリ墜落事件」という事象を多くの人間に向けて伝えることで、他者の問題意識、関心を高めることが必要だ。そして、沖縄へもっと多くの視線を向けさせることが必要なのだと私は考える。


「沖縄の戦争は、まだ終わらない」

総合文化学部 人間福祉学科 2 年次
具志 美沙

 2004 年 8 月 13 日、沖縄国際大学の本館に米軍ヘリが墜落、炎上するという衝撃的な事件から、今日で 13 年がたちます。しかし、この沖縄の真っ青な空を見上げれば、大きな黒い影をつくり恐ろしい爆音をたてながら自由に飛び回る米軍の飛行機。今もなお私たちの生活は危険と隣り合わせにあるのが現状です。現在、沖縄は緊迫した状況に置かれています。それは、活発化した北朝鮮の核ミサイルによる脅威です。政府は、基地があることで、私たちの安全が守られているといいます。しかし、本当にそうでしょうか?広島に原爆が投下されたことを思い出してください。広島市が重要な軍都であったとみなされたがゆえに、あのような惨事を招いてしまったようにも考えられます。
 今、もし戦争が始まれば、在日米軍占有施設の約 7 割を負担するこの沖縄が脅威にさらされないとも限らないのです。戦時中、地獄のような地上戦を見てきたわれわれの先人は、そんな今の世の中に、どんな未来を見据えているのでしょうか。私
たちは同じ過ちを繰り返さないためにも、過去の出来事から多くを学び、平和を求めていかなければなりません。今の平穏な日常に満足して、いつ奪われるかもわからない平和の尊さを忘れてはいけないのです。本当の平和とはなんでしょうか?戦争を繰り返さないこともそうですが、今を生きるすべての人の生活に、安心と幸福を与えつづけていくことではないでしょうか。
 私は沖縄・琉球の伝統文化である琉球舞踊や太鼓を幼い頃から学んできました。琉球王国時代から続いてきた沖縄の伝統文化、また先祖から紡いできたこの命とともに、あの悲惨な戦争の記憶と平和への願いを未来へつないでいく義務があります。つらい経験をした沖縄だからこそ訴えるべきは、武器を捨て、沖縄に明るい未来と本当の意味での平和が訪れるように行動を起こすことです。かつて沖縄は、日本本土を守るための時間稼ぎとして捨石になり、地上戦では多くの尊い命が奪われました。さらに、沖縄には戦争や戦後米軍基地がもたらした事件・事故によって、心や体に傷跡を刻みつけられた多くの人が今もなお生き続けています。そんな人々がいる中で、追い打ちをかけるように、戦後 72 年が過ぎた今でも、国はこの小さな島、沖縄に犠牲を払い続けろというのでしょうか。
 時代は移り変わり、戦争を直接体験した人は少なくなっています。また、米軍基地がもたらす苦しみに声をだせずにいる人たちもいます。戦争と基地がもたらす苦悩に耳を傾け、伝える場がなければ、繰り返し悲しみを呼ぶのです。13 年前の惨事が起こったこの学び舎に立つ沖国生だからこそ伝えるべきことは、今を生きる私たちが声を大にして、未来に生きる人たちに、平和の尊さを伝え、世界に発信し、またその責任を負うということです。私たちが勇気をもって武器を手放したとき、世界はまた一歩平和へとつながるのです。これからも平和を考え、過去から今に紡いできたこの命を大切に生きたいと思います。