文字サイズ

大学概要

米軍ヘリ墜落事件

学生による意見発表(2019年度)

文書
基地問題と沖縄の将来を考える

経済学部経済学科 4年次
宮城あゆみ

2004年8月13日、沖縄国際大学の本館に米軍ヘリが墜落する事件が起こりました。当時、私は小学2年生で事件のことを知らず、高校の平和学習を通して学ぶ機会がありました。沖縄国際大学入学後、大学の講義の中で事件のことを改めて学ぶことができました。沖縄の歴史を学ぶ機会があり、その中でヘリ墜落当時の大学の状況や米軍の対応、近隣への被害などの詳細を知ることができました。
大学の講義を通して沖縄国際大学のヘリ墜落事件について学んだことをきっかけに、そのほかの米軍関連の事件・事故にも関心を持つようになりました。
ここ数年だけでも米軍ヘリの不時着や軍用機の部品が落下する事件、軍関係者による暴行事件や交通事故などの事件が多発しています。このような事件が起こる度に沖国大のヘリ墜落事件が思い起こされ、当時と何も変わらない米軍の住民への冷たい対応が浮き彫りとなっています。米軍関連の事件を詳しく知るたびに、私たちはただ生活しているだけであらゆる危険がつきまとっているという実感が湧いてきました。
基地問題について関心を持っていなかった私が、積極的に学んでいくようになったのは、講義の中で取り上げていたからだと思います。学ぶ機会を設けることが、基地問題を考えるためには必要だと考えます。平和学習で戦争について学んできましたが、基地については学んできませんでした。基地問題は、現在の生活に密接に関係する重要な問題だと考えます。平和学習と同じように、基地学習を小中高で実施することで、考えるきっかけを生むことができると思います。
また、大学の講義の中で、沖縄経済と米軍基地は深い関係にあることを知りました。
 コザなどの米軍基地近くの商店街や米軍関係者向けの不動産業は、米軍関係者による需要で成り立っているなどのプラスの面があることがわかりました。
一方では、米軍基地によって土地が奪われ住居スペースが限られていたり、基地周辺の道路は渋滞が多いなどのマイナスの面も知ることができました。
 基地返還によって、これまで複数の大型ショッピングモールがオープンしました。多くの県民が買い物に訪れ、観光客による消費も期待されています。基地返還は、沖縄経済へプラスの影響を与え、沖縄を活性化させていく可能性があります。
沖縄の将来を考えるには、過去を学び、現在の状況を理解することが必要だと考えます。
沖縄国際大学ヘリ墜落事件があった今日をきっかけに、もう一度基地問題について考えてみてはどうでしょうか。
沖縄国際大学と基地周辺の住宅地域に安全で平和な空が戻ってくることを願っています。



「平和と呼ぶには遠く。歴史にするには早く。
記憶に残せない深い傷を、慰める術はないものか。」

地域環境政策学科 3年次
 平安山 良斗

 2004年8月13日沖縄国際大学に米軍ヘリ墜落。当時私は、まだ5歳でした。もちろんその時の記憶もなければ、当時の様子さえ知りません。私からすると15年も前の出来事と感じるのです。
 大学内に墜落したにも関わらず日本の警察も入ることができなければ、大学関係者さえも立ち入ることができない当時の現場。今の私たちにはその真実と歴史を知ることしかできません。
 私は大学にヘリが墜落した翌日の新聞を見ました。沖縄の新聞の一面には沖国の校舎にヘリが墜落した記事。一方、県外のある新聞の一面には「平和に貢献するオリンピック」アテネオリンピックの記事であった。同じ日本なのに沖縄と県外で真逆の記事でもあり、県外と異なった温度差を記事を見て感じた。
 では、実際にどれ程の人がこの基地問題に対して興味や関心を持って、考えているだろうか。今を生きる私たちには米軍関連による事件事故が当たり前のように起きている。自分自身の生活に影響がなければ、当たり前のように生活している。私自身、ヘリが授業中に飛んでいても、寝ている時に飛んでいても、何も気にしない。なぜならこれが沖縄の当たり前な日常だと私は感じてきた。生まれた時から基地がそばにあり、いつしか基地があることが当たり前になっている。県外の人たちは沖縄にこんなにも多くの基地があるのを知っているのだろうか、そして沖縄の人達が基地に入ることができないことを知っているのだろうか。沖縄の人たちにとっては、基地があることが当たり前で、沖縄の人が基地の中に入ることができないのは常識だと、幼い頃からそう教わっている。私たちにとっては、日常としての沖縄に、基地があるのだ。
 そんな中で、宜野湾市に一緒に暮らす私の祖母は、家の上をジェット機が飛ぶたびにあの60年前、ジェット機が墜落して、18名の犠牲を出した宮森小学校の事故のことを思い出すと言います。当時20歳で銀行員として働いていた祖母は、銀行の上を、耳がつんざくような音でジェット機が通過した時の音を、今でも鮮明に記憶しているそうです。墜落直後、祖母はすぐに現場へ行き、親戚を探しに行ったそうです。親戚たちは無事だったが現場を見た祖母は、その場で泣き崩れたそうです。それからのこと、祖母はジェット機の音を聞くと夜も眠れない時があるようです。1つ屋根の下で一緒に暮らし、いつも笑顔で元気いっぱいな私の祖母が体験した、私たちの知らない過去。その優しい瞳の奥に祖母は何を見たのだろうか。私は話を聞くことしかできない。しかし祖母の思いは私の胸に刻まれました。
 私たちは74年前の沖縄戦を、実体験として感じることのできない時代に生きています。
 しかし、祖母から受け継いだ思いを通して感じる、本当の平和への願いを風化させてはいけないとさらに感じるようになりました。
 最後に、この大学の卒業生でもあるミュージシャン。モンゴル800のキヨサクさんが書いた歌詞の、一部を朗読して結びとします。
「平和と呼ぶには遠く。歴史にするには早く。記憶に残せない深い傷を、慰める術はないものか。」