文字サイズ

大学概要

米軍ヘリ墜落事件

学生による意見発表(2018年度)

文書
「沖縄に幸福を」

法学部 法律学科 4 年次
新垣 里奈

14 年前の今日、ちょうどこの時間、この場所にアメリカ軍ヘリコプターは墜落しました。その時私は小学生。空からヘリコプターがどこかに墜落するなど
予想することもなく平凡に日常を過ごしていたことでしょう。
偶然にも大学が夏期休暇期間中だったため、学校周辺に学生がいなかったことが唯一の救いだったと思います。ですが、負傷者が出なかったからといって
“良かった”ではすむ問題ではありません。学生、社会人、大人、子供、沖縄県民だけでなく、全国規模で米軍基地の在り方を考えていかなければなりません。
沖縄国際大学ヘリ墜落事故で負傷者はでなかったものの、住民への不安を大きく残しました。問題はこのような事故が起きた後も東村の住宅街への米軍機
墜落事故や保育園への部品落下などの事故は後を絶ちません。米軍基地は 30 カ所以上。その多くが人口の集中する市町村や住宅街と隣り合わせにあり、私た
ち沖縄県民は戦争が終わった後もその名残とともに生活しているのが現状なのです。
私たちはなぜ、大学生活の中で飛行機の墜落や騒音を気にして過ごしていかなければならないのでしょうか。若い世代の人々は戦争を経験していない。
それはアメリカ側も一緒である。お互い争ってもいない、加害者でも被害者でもないのに関わらず、沖縄に基地を置く必要性はあるのだろうか、深く考えさせ
られます。しかし、米軍基地の存在については沖縄県民のなかですら意見が分かれる問題であり、NO の一点張りはできません。長年続いている基地問題を解決する前
に、住民ひとりひとり意見を持つことが必要だと考えています。基地が必要か、そうでないかすら、方向性が決まっていないように感じている人々は多いのではないでしょうか。
正直なところ、戦争を経験していない人の中では米軍基地問題に無関心だという人も少なくはないでしょう。しかし、このまま時代が進んでいき、問題解決が永遠に続くとなれば、
私たちの子孫へも負担をかけてしまうことになるのです。無関心だという人も自分の子供や孫が危険と隣り合わせだということを考えながら、自分なりの意見をもってほしいと思えます。
「命どぅ宝」「命こそ宝」。私たちの願いは安心して学校に通える、安心して愛する地元沖縄で生活が送れる、ただそれだけなのです。



基地のない沖縄を目指して

法学部地域行政学科 3 年次
牧志 和哉

沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した 2004 年 8 月 13 日、私はまだ小学生で、佐賀県で暮らしていました。故郷の沖縄でヘリが大学に墜落するという大事件にもかかわらず、当時
の私がニュースをみてどのような感情を抱いたかを覚えていないほど、関心がありませんでした。13 歳になり沖縄に帰ってきた頃には、事件のことなど記憶にもありませんでした。
事件のことについて考えるようになったのは私が 19 歳の時です。沖縄国際大学に入学し、学校に通うようになり、そういえばこんな事件あったなと思い出したことで事件について
調べることにしました。
この事件で幸いにも死者が出ることはありませんでしたが、ヘリが墜落した本館内には大学職員が 20 数名いたとされていて、一歩間違えると大惨事になっていた可能性もあります。
事故直後にはアメリカ軍が現場を封鎖し、大学関係者や警察・消防・行政の立ち入りを禁止した上で大学構内を占拠しました。沖縄県警が求めた合同での現場検証には応じず、
大学の許可なしに現場の木を伐採し、墜落機と周辺土壌を回収し、基地へと持ち帰ったとされています。また、事故原因はボルトにつける割りピンの取り付けを怠ったことだと発
表されています。この事実を知った時、被害者であるがなぜこのような扱いを受けるのだろうという思いと、整備のミスというちょっとしたきっかけで県民の命を危険にさらすよ
うな事件を起こしてしまう基地の危険性を、改めて身にしみて感じました。米軍ヘリに関連する事件・事故は頻繁におきています。今年の 6 月 11 日、那覇市の南の沖合に嘉手納基地所属の
 F15 戦闘機が墜落した事故で、沖縄の日本復帰後に県内で起きた米軍機の墜落事故は 49 件になりました。年1回以上のペースで米軍機の墜落事故が起きていることになります。
墜落事故ではありませんが、昨年 12 月 7 日に起きた、宜野湾市の緑ヶ丘保育園にヘリの部品が落下した事故と、同月の 13 日に起きた、普天間第二小学校の校庭にヘリの窓ガラスが落下した
事件は、立て続けに子どもの命を危険にさらす事故が続いたので、強く印象に残っています。事故に関する記事を読んで衝撃的だったのは、「緑ヶ丘保育園で起きた米軍機のヘリ部品落下は職員による自作自演」
という誤ったネット情報が広がり、保育園の職員、関係者を誹謗中傷する人がいたということです。園を誹謗中傷する人が書いたネット記事を見てみると、事故当時の取材での園長のコメントに対して、
「焦げたような匂いがしたのは気のせいで、熱いような気がしたのは誰かが近くで焚き火でもしていなのではないか。」といったような、園関係者をバカにしたような書き込みや、異常な
政治思想があるなどの偏見にみちた書き込みが多くありました。なぜ、被害者である幼稚園側、つまりは沖縄県民を批判する声があがり、私たちはこのような扱いを受けなければならないのでしょうか。
こういった偏見と、沖縄と基地の現状を誤った知識で捉えている人々の認識を改めてもらうことが、基地による事件事故の減少、ひいては基地の県外移設を実現することにつながると思います。
もちろん、沖縄に対する間違ったイメージを正すこと、偏見をなくすことは簡単ではありません。今だに、沖縄の経済は基地によって成り立っていると考えている人もいます。ただ、
こういった間違ったイメージを他県の人が沖縄に持つことは仕方ないことだとも思います。冒頭で述べたように、県出身の私でさえ、1 度沖縄を外れて生活してしまうと、沖縄で起こる
基地関連の事件・事故に対する関心はかなり低くなっていました。沖縄で、基地とともに生活したことがない他県の人々からすれば、自分の生活していない沖縄で起きていることにそれほど
興味を抱くことはないでしょう。沖縄としては県はこれまで、県知事選挙やその他数々の選挙で基地はいらないという民意を示してきましたが、この民意を沖縄県民のみの意志ではなく、
他県の人も含めた国民の意志としなければ、政府は基地の県外移設に取り組んではくれないでしょう。今後の基地問題について、沖縄県民だけで考えるのではなく、他県の人々とともに
この問題について考えていくことが必要です。
しかし、基地を他県に移設することは、沖縄が抱える問題を押し付けることにもなり、真の平和実現にはなりません。最終的な目標は基地の国外移設とした上で、まずは国民全体で
基地について考えることが当たり前になるような関係を築いていくことが、基地のない沖縄実現への初めの一歩ではないでしょうか。