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大学概要

米軍ヘリ墜落事件

学生による意見発表(2014年度)

文書
平和な沖縄を目指して

経済学部経済学科 3 年次
東江やすかず

沖縄国際大学にヘリが墜落したあの日から今日で 10 年。あの日の恐怖は、事故の跡地に残された焼け焦げたアカギの木が物語っています。夏季休暇中で学生も少なく、幸いなこ
とに 1 人も怪我人がいなかったが、もしも講義がある平日であった場合、もっと残酷な結果になっていたことでしょう。
 私は未だに沖縄は平和ではないと感じます。沖縄には様々な問題がありますが、その中でも米軍基地問題は非常に重要な問題です。この問題は、戦後の沖縄の平和を考える上でも、中枢と言えるほどの問題です。
 去年の 12 月 27 日、普天間基地の移設先として挙げられていた辺野古の埋め立て工事が、ついに承認されてしまいました。辺野古の海には、絶滅危惧種であるジュゴンが訪れます。最近では辺野古の海で次々と新種の生物が発見され、中には世界でも大浦湾に1体だけしか採取記録がない生物もいます。その辺野古を現在埋め立て、基地を移設させる工事が始まろうとしています。辺野古を埋め立てるということは、貴重な生物の宝庫を失ってしまうことになるのです。しかし、国は「それは仕方がない」と言います。
 今年 1 月、沖縄市にあった米軍基地の跡地で、有害物質が入った大量のドラム缶が発見され、これによる土壌汚染の心配も懸念されました。似たような例は過去にいくつもあります。しかし、日米地位協定により、アメリカはこの発見された有害物質の処理をしなくてもよいという事で、結局日本側が処理する事になっています。過去には、発見された当時、有害物質を処理する技術が日本になく、17 年間もの間沖縄で保管されていたという例もありました。アメリカが無責任にも残していった有害物質で、なぜ危険を脅かされないといけないのでしょうか。しかし、国は「それは仕方がない」と言います。世界的にも貴
重な生物の個体減少・絶滅の手助けをするだろうが、「それは仕方がない」。きっと経済が良くなるから。土壌汚染によってその土地に住めなくなる可能性もあるけれど「それは仕方がない」。日本の安全保障のためだから。経済が良くなるなら、日本の安全保障のためなら、沖縄県民はその土地に住むことができなくなってもいいと言うのでしょうか。沖縄の自然は無くなってもいいと言うのでしょうか。激しい地上戦を必死に耐え抜き、戦争が終わっても尚、二十数年日本とは認められなかった。そんな中でも、必死に働き家族を支え、暮らしが厳しい中でもしっかりと子供を育て上げ、沖縄を、日本を支えてきた人々がいる。そういう人々が報われないような世の中は間違っています。沖縄の平和を目指す上で「弱者の視点で考える」という平和学の考えは非常に大事だと思います。米軍基地があれば得をする人もいますが、苦しむ人もいるのです。苦しむ人の立場に立ってこの問題を考えることが平和への第一歩になるのです。今後、少しでも多くの人がこの問題について意識を向け、そしてこの問題で苦しんでいる人の立場に立って考え、一人ひとりが積極的に沖縄の平和に向けて行動していって欲しいと願います。



「あの日と同じ空の下で想うこと」

経済学部 地域環境政策学科 4 年次
比嘉麻美

 10 年という月日は、私たちに何をもたらしたでしょうか。
 2004 年 8 月 13 日、沖縄国際大学に突然襲い掛かった災難。米軍ヘリの撃墜を受けて、黒々と巻き上がる煙の隙間から見えたのは、なんと毎日 6000 人もの学生が通う本学の建物だったのです。ヘリの残骸と、至るところに飛び散らばった建物の破片。焼け焦げて黒くなった木々が悲鳴をあげている姿の痛ましいこと。「まさか・・そんなことがあるわけがない」当時誰もがそう思ったことでしょう。あれから 10 年が経ちました。あの日の事故の記憶は、私たち学生、県民、本土の人、そして米軍人の中で、今どのように生きているのでしょうか。
 昨年 12 月、私は静岡県から修学旅行で沖縄を訪れた高校生 30 人と交流する機会がありました。琉球の歴史や伝統文化、魅力を紹介する一方で、基地に関連したテーマを彼らに提示しました。静岡県もまた、米軍基地を有する県だったからです。ヘリ墜落事故の一枚の写真を彼らに見せました。(そのときの生徒とのやり取り)焼け焦げた建物は、私がこの 4 年間ほぼ毎日通った大学の一部だったの。この緑色の軍服を着た人は、アメリカの軍人さん。この人も、この人も。「アメリカ人だけしか写ってないみたい」一人の生徒が気づきました。そう、当時事故現場に沖縄の人は入れなかった。大学関係者も、テレビの人も、入れなかったんだ。おかしいよね、ここ沖縄なのに。日本なのに。「この、黄色い防具服とマスクの人は何してるの」別の生徒が気づきました。全身を隠してる人は、実は、現場に落ちた放射性物質を探していたと言われているの。沖縄で放射能の危険性?沖縄で被爆の危険性?そんなことがあったの?
 当時私は中学 2 年生でした。事故を受けて県全体が只ならぬ雰囲気に包まれたことは覚えています。しかしその中に「被爆」の言葉はあったでしょうか。初めはにわかに信じられない思いでいっぱいでした。それがどうでしょう、今現在、あの事故現場で作業していた米軍人 2 人が国へ被爆を訴え、裁判中というのですから。私は頭を鈍器で殴られたような、衝撃を受けたのを鮮明に覚えています。なぜ知らなかったのか、なぜ知らされなかったのか。沖縄では基地問題において、当事者であるにもかかわらず「知らされない」ことが多いように感じます。東村高江ヘリパッド建設、名護市片野古のV字滑走路計画、日米政府間で何十年も前から着実に進んでいた計画だというのです。
 最近、本土のある企業の社長さんとお話をする機会があったとき、今一番気になるニュースはなんだと問われ、集団自衛権と辺野古移設問題だと答えると「やはり沖縄特有だね、本土ではそうでもないかなあ」と。沖縄の問題であって自分たちの問題ではない、そういった感覚の人が多いです。沖縄経済が基地に依存しているというのであれば、日本も自国の安全を安保条約のもと沖縄に依存していると言えます。
 数年前まで、私はただ「基地反対」と言いました。しかし、狭い沖縄に無数に散らばる事実を広いあげ、その事実を語る県民の地域の人の声に耳を傾けると、そう単純な問題ではないことがわかりました。
 沖縄の問題であって自分たちの問題ではない、普天間と辺野古の問題であって他市町村の自分たちは関係ない、基地経済の恩恵を受けていない私たちは関係ない。そうではなくて、ただ事実を受け止め、それと向き合うだけなのです。
 日本で唯一の地上戦が繰り広げられた沖縄県、米軍ヘリ墜落事故の過去を持つ唯一の大学。過去は変えられません。私たちは「今」この日この時間を未来へ紡ぐだけです。私は沖縄戦の体験者でなければ、10 年前のあの日に事故現場へ遭遇したわけでもなく、軍用地を持ってるわけでもなければ、基地で働いているわけでもありません。しかしそれらの事実と向き合って得た疑問や感情は、私自身の、私だけの貴重な体験です。
 基地と隣合せの危険性を、事故を機に再確認した私たち。「起きてからでは遅い、起きる前に考えてみてほしい。」静岡県の高校生にそうメッセージを送ってから約一年後、地元にオスプレイ飛来が現実となってしまった彼らは、今何を感じ、何を考えるだろうか。
 私たち若者が、県内だけでなく県外の若者に対しても、確実にバトンを渡していく責務があると思います。最近、平和学習の形骸化に問題視し立ち上がる県内学生もいました。それぞれの想いで、それぞれの形で、事実と向き合っています。
 どんな未来を歩みたいか
 どんな「今」を語り継ぎたいか
私は、この青い空と海の下で生まれる将来の子どもたちに、国籍を問わず、出身地を問わず、互いに想いやり溢れる、真の平和と、平等な世界を残したいです。沖縄に生まれたことに誇りを持つ人がたくさんいる世界にしたいです。