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大学概要

米軍ヘリ墜落事件

学生による意見発表(2012年度)

文書
「基地問題を共感する」

法学部地域行政学科 3 年次
宮良 祐太


2004 年 8 月 13 日午後 2 時 15 分頃、普天間基地に所属している米軍の大型ヘリが私の通
学している沖縄国際大学に墜落するという衝撃的な事故が起こりました。私は当時のニュ
ースや新聞等の報道で事故を知りました。当時、私はまだ中学生でしたが事故に対して強
い憤りと不安を感じたことを覚えています。幸いなことに人命に関わる被害ではなく安堵
しましたが、一歩間違えると大惨事になっていたのではないかと想像しますと、私たちが
安心かつ安全に暮らす普段の日常生活と、実際に起きた墜落事故により私たちの生活がい
とも簡単に破壊されるという現実との間に大きなギャップが存在していることを感じざる
を得ません。また、今年 10 月にオスプレイが普天間基地に配備されようとしています。オ
スプレイは過去に起きた事故がたびたび指摘され、墜落事故の危険性が非常に高いことで
知られています。普天間基地は多数の民家や小学校周辺に位置しています。そこに安全確
認がされていない米軍用機が配置されることは住民の生命に直接関わるので、絶対にあっ
てはなりません。また、2004 年の墜落事故の記憶がまだ生々しく残っている時期に配備が
決定されたことに沖縄国際大学で勉強している学生としても私は底知れぬ不安と怒りを禁
じ得ません。
過去の歴史を振り返ってみますと沖縄国際大学ヘリ墜落事故を含め米軍用機に関する事
故は幾度にわたり発生し、私たち沖縄県民の安心安全な暮らしを常に脅かしてきました。
1959 年 6 月 30 日、当時の石川市立宮森小学校で米空軍のジェット戦闘機が墜落し、多数
の死傷者や負傷者を出す大惨事となりました。死傷者の多数は学校の中にいた子供たちで
した。本来、子供たちの安全を守るために一番安全でなければならない学校という場所で
事故が起こりました。これからの将来に夢や希望を抱く、幼く尊い命が犠牲となりました。
もし事故が起こらなければ、子供たちは普段通りの楽しい学校生活を過ごしていたはずで
す。また、そうする権利を当然に有しているはずです。しかし、現実には学校上空をいつ
墜落するかわからない米軍用機が無数に飛び交い、常に普天間基地周辺の子供たちの生命
を脅かしています。
それから 9 年後、1968 年当時のベトナム戦争による米軍の出撃基地として利用されてい
た嘉手納基地に常駐していた米空軍の戦闘機 B52 が離陸に失敗して墜落、炎上する事故が
起こりました。事故は基地内で起こった事故でしたが、もし学校、民家のような住民の暮
らしの場における事故であったら、たいへんな惨事であり、宮森小学校での事故から現在
もほとんど変わっていないことに気付かされました。
現在に至るまで沖縄県民は、本学のヘリ墜落事故を含め常に基地問題がもつ危険と隣り
合わせの生活を送っています。現在でも普天間基地周辺の民家の上空には米軍用機が昼夜
を問わず飛び交っています。基地と隣り合わせの学校の上空を米軍用機が飛来する非常に
危険な状態にあり、常に子どもたちの命が危険にさらされています。「もし事故が起きたら
どうなるのか」という問いの答えは、私たちが過去に経験してきた歴史を振り返れば明ら
かです。
沖縄県民全体が過去の歴史を共感しながら基地問題を考えていかなければなりません。
私たち一人一人が基地問題に対する当事者であるという意識を持ち、先人の方々が守って
きた沖縄を今度は私たちの世代が守っていく自負心を持つことが、私たちに課された責務
であると私は思います。
過去から現在まで、住民が安心して安全に暮らせるという当たり前の権利が基地問題に
よって制約されている現状を私たちはどのように考えるべきでしょうか。現在、基地問題
は私たちの手が届かない、かつ良く見えない場所で議論されているように思います。
私たち沖縄県民は、戦後、復帰後、そして現在に至るまで、声が枯れて出なくなるくらい
の叫びで私たちの安全、安心に暮らす権利を切実に主張してきました。しかしまだ沖縄県
民が一丸となって権利を主張するには至っていないと私は思います。同時に必ずしも県民
の主張が正確に反映されていない現状に対し非常にもどかしさを感じています。
本来、私たちが住んでいる地域で安全、安心に暮らす権利を有しています。もしその権
利が脅かされた場合は、私たち自らが主体となってこの権利を主張するべきです。しかし
現状を見るように、個々の声では小さくて主張が届かない場合があります。そこで大切な
のは、個々の声だけではなく沖縄県民全体の声として私たちの権利を主張していくことで
す。そのためには墜落事故を含め基地問題を一地域だけの問題としてとらえるのではなく、
それを県民全体で共感する心が必要です。墜落事故の恐怖、日常生活における多大な影響、
その他基地問題を県民全体が共感して、それを沖縄県民全体の安心安全に暮らす権利とし
て大きな声で主張しいくことが今現在私を含め沖縄県民一人ひとりに与えられた責務では
ないでしょうか。一日も早く普天間基地が閉鎖・撤去され、騒音のない静かな学習環境に
なることを期待して私の発表を終わります。



「普天間基地から沖縄を考える集い」

経済学部地域環境政策学科4年次
比嘉 太一

2004年8月13日、沖縄国際大学本館に、米軍 CH53D 大型ヘリが墜落、炎上しまし
た。事故当時、中学生だった私はこの事故をテレビを通して知りました。私は今でも、米
軍が現場を強制封鎖する様子や封鎖に対して抗議する人々の映像が頭をよぎります。
事故発生時、米軍は日米地位協定を盾に、現場保全、事故処理のすべてを米軍主導で行
い、被害者である「沖縄国際大学」(当局、関係者)の事故現場への立ち入りを厳しく規制
しました。法治国家であろう日本が、米軍基地外の民間地域、法治国家の日本の主権域内
で起きた事故にも日本の法律を執行できないという事態は理不尽そのものでした。墜落事
故は沖縄が法治国家の島であるのかという疑問をあらためてつきつける象徴的な出来事で
した。
悲惨な事故から8年が経ちました。今もなお、米軍による理不尽で差別的なことは続い
ています。垂直離着陸輸送機 MV22 オスプレイの事です。「NO FRAY ZONE」を訴え
る沖縄国際大学にとって逆行する日米両政府の姿勢は沖縄を侮辱しています。
オスプレイはこの秋にも、この空を飛ぶ予定です。県知事をはじめ、多くの県民はオス
プレイ配備に対し反対を強く訴えています。しかし日米両政府は配備を強行する構えです。
私は米国のオバマ大統領、そして野田佳彦首相に問いたい。もし、オスプレイが8年前
の今日のように墜落したら、誰が責任を取るのでしょうか。万が一の時の責任は、どうと
れるのでしょうか。日米安保のためなら、私たち国民、県民、市民の命が脅かされても良
いのでしょうか。オスプレイは、私たちの命を奪いかねない脅威であり、空飛ぶ凶器です。
断じてこの空を飛ばせてはいけません。
私は沖縄国際大学の経済学部に在学し、日々、沖縄経済について学んでいます。学ぶに
つれて感じることは沖縄経済と基地問題の関係です。本土の経済人や政府の官僚たちの中
には「沖縄経済は基地が無くなると行き詰まる」との見方をしている人も多いようです。
確かに終戦から本土復帰までの戦後の沖縄経済は米軍による管理下に置かれ、基地の影響
を多大に受けてきました。しかし、沖縄が本土復帰した後は経済の基地依存度は減少に転
じています。すでに基地が返還された米軍ハンビー飛行場や牧港住宅地区は、商業施設や
那覇新都心として県民のニーズに合わせた活気溢れる新しい街に変化し、経済的な効果が
生まれています。また一昨年、沖縄県自らが策定した沖縄振興の指針となる沖縄21世紀
ビジョン基本計画の中には「県の経済的な生産能力を抑制」「土地利用にも歪みをもたらし」
「経済的に不効率な土地利用」と米軍基地を指摘し、県経済の妨げになっていることを強
調しています。このように、基地の存在がわたしたち沖縄県民にとって不要であり、沖縄
経済に打撃と損失を与えていることは、多くの学者、研究者の研究でも証明されつつあり
ます。高失業、低所得に喘ぐ沖縄を救うためにも、新たな経済活性化の拠点なる普天間基
地の返還を私は求めます。
8年前の事故の墜落跡地に今もなおひっそりと焦げたアカギが存在しています。アカギ
は事故当時の凄惨さを、私たちに伝えています。私たち世代の中には基地という存在が当
たり前だと感じている者も少なくありません。また本土メディアの中には、沖縄に基地が
あることを正当化させる報道も目立ちます。当事者意識を欠く、本土との温度差を無くす
ためにも、私たちは粘り強く沖縄の現状を発信していく必要があります。沖縄国際大学に
米軍ヘリが墜落した事実をしっかりと次の世代に継承していく必要があります。沖縄県民
の命を守るためにも、私たちが安心して学ぶ環境を実現させるためにも、オスプレイ配備
を中止させ、危険な普天間基地の早期返還・撤去を日米両政府に強く求めていきたいと思
います。