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大学概要

米軍ヘリ墜落事件

学生による意見発表(2020年度)

文書
基地問題と沖縄の未来を考える


産業情報学部 企業システム学科 4年次 上原 麻奈

沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した2004年8月 13 日、 当時私は6歳でした。 連日ニュースで報道された内容までは覚えていないものの、 ヘリが墜落するという現実味のない事件への衝撃は当時の私にも分かるほど大きなものでした。 しかし、 時が流れるにつれて記憶も薄れていき、 私が改めてこの事件に関心を持ちはじめたのは大学に入学してからのことです。
入学当時何気なく校内を散策している中で私はあるものを発見しました。 それは、 焼け焦げたアカギの木でした。 ヘリ墜落事件のモニュメントが存在することは知っていましたが、いざ目の当たりにすると、”本当にここにヘリが落ちたんだ”と実感し、強い衝撃を受けたのを覚えています。
それと同時に、 いま自分が身を置いている環境がどれだけ危険であるかを悟り、 生活、社会、将来など様々なことに対して漠然とした不安を抱くようになりました。 「なぜ、沖縄県には米軍基地があるのか」、 「なぜ、 私たちの生活はそれらによって危険に晒されなければならないのか」。 そのような思いから、事件の詳細や沖縄の基地問題について知りたいと思うようになりました。
ヘリ墜落事件について調べていく中で衝撃的だったことは、事件発生時、米軍が大学内を一方的に封鎖し、 県警や大学関係者の立ち入りを一切禁じたことです。 事故機や事件究明に繋がる証拠品は全て米軍が回収し、 残ったのは焼け焦げた校舎とアカギの木だけだったそうです。命を奪われかけた上に、冷たい対応を受け、この事件をきっかけに多くの県民が米軍に対して不信感を抱きました。
そして現在、事件から16年もの月日が経ちました。その間も米軍関連の事件や事故は変わらず起き続けています。 それらが起こるたびに県民は不安を覚え、 恐怖に怯える生活を送っています。 今日においても米軍に対する不信感は増すばかりです。
しかしながら、 我々県民は不安の原因となっている基地問題に対して、 はたして強い関心を持ち、 みずからの意見を述べることができるほどに現状を理解しているでしょうか。私は沖縄国際大学に入学し、 ヘリ墜落事件を知ったことをきっかけに基地問題についても学ぶようになりました。そう考えると、たとえ沖縄県民であっても基地問題に対する理解はまだまだ十分ではなく、 基地問題の歴史や現状を知らないからこそ、 余計に不安に感じることがあるのだと思いました。
こうした不安を取り除くために、 まずは私たち自身が基地問題について能動的に理解を深めることこそが大切だと考えます。私たちは幼い頃から平和学習を幾度となく行ってきました。平和学習には”二度と戦争を起こさない”という目的があり、戦争の悲惨さを学ぶことで平和につながるヒントを得ています。こうした平和学習と同様、基地問題についても学ぶ機会を積極的に設けるべきだと考えます。 社会への不安と、 米軍に対する不信感を払拭するには、 自らそれらに意見できる理解を得なければなりません。 県民一人一人が、日頃から基地問題に対する理解を深め、 意識を高めていく ことこそが、 将来の安全な社会づくりの一歩に繋がるのではないでしょうか。
沖縄のよりよい未来を作り上げるには、 まずは沖縄県の置かれている状況を多角的に知ることが必要です。皆さんにも、8月13日という日をきっかけに、改めて沖縄の基地問題について真剣に考える機会をもっていただければと思います。
最後に、 沖縄県民が心から安心して暮らすことができる平和な日々が訪れることを願います。


「安心して暮らせる日を目指して」


産業情報学部 産業情報学科 4年次 浦崎 直之

2004年8月 13 日午後2時15分頃、 この場所に普天間基地所属の米軍ヘリが墜落しました。 普天間基地は沖縄国際大学に隣接し、 教育機関と軍事施設が隣り合う光景は異様だと感じます。
米軍ヘリが墜落した当時、 私はまだ幼稚園生で事件についてあまり覚えていません。小学校に上がり、 事件を体験していない非当事者として平和学習の一環で学んだ、 最初の世代であると思います。私より下の世代は、 より米軍ヘリ墜落事件を過去に起きた歴史として学んでいます。事件を目の当たりにし、体験した世代に比べれば普天間基地の危険性を考える機会も減り、 普天間基地に対する認知の差が大きくなっていると感じます。
私は昨年の平和の集いで、 体験者へのインタビューを行い、 映像記録を制作しました。これまで、 事件に対する私の認識は 「少し知っている」程度のものでした。 体験者へのインタビューを通して、 記録には残っていない当時の学校側の体制や米軍側とのやり取りなどを聞き、深く事件について学ぶことができました。 このことを機に改めて普天間基地の危険性について認識し、 轟音と共に戦闘機やヘリが行き交う空は当たり前のものではないのではと考えるきっかけとなりました。
これからの時代、事件を体験した方は少なくなり、 墜落現場となった大学の学生でさえ、事件の詳細を知らないという世代が増えていくように思います。大学と基地が隣り合う現状に疑問を抱き、再びヘリ墜落という事件を引き起こさないよう、 この事件を語り継いでいくことが必要です。 そのためにも、 私が体験者の話しから学ぶことができたように、 文書や資料などの紙媒体だけでなく映像をはじめとする学びを深めるコンテンツを充実させなければならないと感じました。 一人一人が事件を認識することで基地の在り方、 現状の生活を見つめ直す機会になると思います。
世界的に見ても最も危険な基地とされる普天間基地は、 早期閉鎖が望ましいと言われています。 しかし、何年も難しい状況が続いています。こうした状況が続く限り、危険と隣り合わせであることを認識し、ヘリ墜落事件を教訓として周知していくことが大切だと思います。 地域住民が本当に安心して生活を送れる日が来ることを心から願います。