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大学概要

米軍ヘリ墜落事件

学生による意見発表(2024年度)

文書
「沖縄と日本の関係 本土に利用される沖縄」


経済学部 経済学科 
3 年次 儀保 裕一朗


 2004年、沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落し、沖縄の基地問題が注目されました。米軍が事件・事故を起こすたびに基地問題は注目されますが、すぐに忘れられてしまいます。当然、米軍が起こした事件・事故の責任は米軍にありますが、沖縄が過重な基地負担を強いられていることについては、間違いなく日本にも責任があります。沖縄の基地問題の本質を理解するためには、沖縄の歴史、特に、沖縄と日本本土の関係の歴史を知る必要があるのではないかと思います。

 沖縄の歴史と言えば、沖縄戦や、その後のアメリカ統治下の時代を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。小さな島である沖縄は、常に力のある国の影響を受けてきました。1879年、琉球が日本に併合され沖縄県になると、当時の沖縄の人々は「日本人」になるために努力しました。それが良いとか悪いとか言うつもりはありません。今よりも貧しく、また、あからさまな差別があった時代、自分が沖縄生まれであることに苦しみ「日本人の仲間に入れてもらえれば、豊かな生活ができるのではないか」という希望を持っていた人も多かったはずです。

 しかし1945年、その希望は打ち砕かれました。沖縄戦に多くの住民が巻き込まれ、家族や友人、大切な人を失ったのです。日本側にとって、沖縄戦の目的は「国体護持」そして本土決戦を遅らせることでした。ゆえに日本軍は沖縄で持久戦を展開、負けを認めることができず、多くの住民を巻き込みました。沖縄は本土のために利用され、犠牲になりました。沖縄は捨て石にされたのです。
 
 戦後の沖縄はアメリカに統治され、米軍基地の建設が進みました。では当時から沖縄が日本本土に比べて過重な基地負担を強いられていたのかというと、そうではありません。当時、沖縄に存在する米軍専用施設の面積は日本国内のそれのうちの1割程度でした。1950年代後半から、本土での基地反対運動の激化などにより、本土の基地は大幅に削減されましたが、アメリカ統治下だった沖縄ではさほど削減されず、沖縄と本土の基地面積の割合は逆転します。1972年の日本復帰以降も、沖縄側の割合は増え続けました。本来なら、基地について日本全体で負担の在り方が検討されるべきでしたが、沖縄は取り残され、本土の分も負担する形になったのです。再び沖縄は利用されたのです。そしてその状態が当然のことのように続き、昨今では、東アジア情勢を理由に沖縄の過重な基地負担を正当化する論調も目立ちます。しかし、国防のためには、本当にここまでの規模の基地が、沖縄に存在しなければならないのか、なぜ本土ではなく沖縄なのかと疑問に思います。

 もし国防以外の理由で、沖縄が過重な基地負担を強いられているとしたら、その理由はおそらく、沖縄県民が少数派だからです。すでに基地が沖縄に集中する今、基地問題は47都道府県による基地の押し付け合いではなく、1対46、つまり沖縄対本土になっています。普天間基地の県外移設先候補地はいくつかありましたが、どこの候補地も移設を受け入れず、結局、辺野古の海が埋め立てられています。人口で言えば、沖縄県民は日本の総人口のなかの約1%であり、しかも本土から離れた「島」の住人です。また、沖縄は明治時代になってから日本に併合されたという特殊な歴史を持ちます。沖縄で起きていることは、本土の人々には伝わりづらく、また、伝わっても共感しづらいのでしょう。歴代の、そして今の日本の政権にも「多数者側から見えにくいところなら、何をやっても大丈夫だろう」「本土から見えにくいところなら、何をやっても大丈夫だろう」「沖縄なら、何をやっても大丈夫だろう」という考えがあるのではないでしょうか。

 この状況を変えるためには、多数者側の本土の人々の、沖縄に対する理解が、何よりも重要です。私は「基地をすべて無くせ」とか「外交だけでどうにかしろ」とか、そんなことが言いたいのではありません。ただ、沖縄に向き合ってほしいのです。本土の人々にとって、沖縄の基地問題は都合の悪いことだと思います。その都合の悪いことから目を背けないでほしいのです。基地が必要だというのなら、基地問題に向き合い、公平な負担をしてほしいのです。

 沖縄県民自身が基地問題に関心を持つことも重要です。本土が沖縄に基地という負担を押し付け、抑止力による平和という恩恵だけを受けている状況を許してはなりません。本土の安全のために沖縄が利用され、危険にさらされることを許してはなりません。
 
 米軍が事件・事故を起こすと、日米地位協定が問題視されることはあります。日本とアメリカが対等な関係ではないことが問題視されるのです。しかし、もう一つの大きな問題は、沖縄と日本本土も対等な関係ではないということです。沖縄の基地問題を解決するためには、沖縄と本土の不公平な関係の歴史を終わらせる必要があります。



「米軍ヘリ墜落から考える沖縄の現状と課題」

経済学部 地域環境政策学科
4 年次 謝花 美生 


 今から20年前の2004年8月13日金曜日、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落しました。幸いにも怪我人や死傷者は出なかったものの、勉学に励む生徒がいる学校に落ちる事故は衝撃でした。また、一歩間違えれば住宅地に落ちていたかもしれない事故だったため、全国ニュースにもなり、地域住民への不安と恐怖は大きなものだったと思います。
 私の住む南部地域でも時折、軍のヘリが飛んでくることがありますが、上空を通るたびに「落ちてこないだろうか」、「戦争が起きてしまうのだろうか」と不安になります。
 沖縄国際大学に入学してからは、軍の戦闘機やヘリの騒音の大きさに衝撃を受け、不安や緊張感はより一層大きなものとなりました。そして、宜野湾市の住民はこの騒音をほぼ毎日聞かされている生活を強いられていると実感しました。
 今日に至っても、日本の国土面積の0.6%しかない沖縄県に在日米軍施設の多くが集中しています。
 私は生活のなかで基地の大きさに「圧迫感」を感じ、こんなに基地が必要なのかと考えることは多いです。しかしながら、今までの歴史から私達の意見が反映されてこなかったことを踏まえると、今や若者を中心にほとんどの人が基地の存在を当たり前だと認識するようになっているのではないでしょうか。
 基地は私達にとって複雑な問題です。基地で働いている人たちもいますし、地政学的にも戦略的価値があるという意見も聞きます。しかしその一方で、墜落事故や部品の落下、騒音、海を埋め立てる基地など、私達県民への不都合は絶え間なく、沖縄の自然環境や生活、安全が脅かされています。これらの沖縄への不都合は経済的・防衛戦略的価値を下回るものでしょうか。
 最近では、米兵に女の子が連れ去られる事件が発生しました。過去にもあった沖縄の女性たちに対する性被害は今も度々(どど)起こっています。

 私の生まれた地は、沖縄でも最後まで激戦が続いていた場所で、その過酷さを示す多くの資料が残されています。平和学習では、戦争体験者の話を聞いたり、当時の人と同じように歩きながら壕をまわるなど、戦争時の状況を体験もしました。
 大学に入ってから、授業や図書館の資料を学び耽読(たんどく)するに至り、戦争の残酷さを知るとともに、「平和」の尊さを知りました。沖縄戦について学んだことがある人であれば、これは誰もが知っていることだと思います。
 これから沖縄の未来を担うのは、私達若い世代です。今現在、沖縄県内でも住む地域に基地がある所とない所で基地問題に対する温度差がありますが、1人1人が自分の住む地域に基地ができることでどんな危険性があるのかを意識して考えなければなりません。辺野古に基地を建設する代わりに、普天間基地を返還すると聞きましたが、宜野湾市民の苦しみを名護市辺野古の市民が替わって甘受するということにもなりかねません。訳も知らずに沖縄に基地が集中することを見逃し続けていて良いのでしょうか。
 目先の利益だけにとらわれずにこの状況を今一度見つめ直し、自分の置かれている状況を理解することで、改めて自分の意思を確認する必要があります。その上で、沖縄のため自分の家族を守るためにも私達は行動を起こす責任があるのではないでしょうか。

 戦後から79年経ちましたが、未だに本土と沖縄の間に認識のズレが生じていると感じます。沖縄で起きている基地から発生する不都合は本土では報道されていないのではないでしょうか。
 基地に対する考え方も「沖縄経済は基地のおかげで成り立っている」といった表面だけのイメージに偏ってしまってはいないでしょうか。
 常に多くの不都合と隣り合わせであることを、沖縄県以外の方々にも知ってもらう必要があると思います。「観光地」としての沖縄は楽しく良いイメージでしょう。
 しかし、沖縄で起こった戦争の傷跡や未だ在り続ける基地の現状も知ってほしいのです。
沖縄の夏は「観光地」として多くの歓声が聞こえますが、黙祷の季節でもあります。私たちの生活や文化は先人たちから紡いできた大切な想いであり、戦争でそれが断絶したという過去を黙して祈っています。
 しかし、私達沖縄の先人たちが経験した戦争が、世界では未だ続いています。
情報が溢れ、個々の意見が発言しやすくなった社会ですから、黙祷の意味を私達が沖縄から発信し、過去先人たちが経験した苦難を知ってもらい、平和の尊さを共感して欲しいと思うのです。