文字サイズ

大学概要

米軍ヘリ墜落事件

学生による意見発表(2025年度)

文書
「スポーツとともに考える、沖縄の平和」

皆さん、こんにちは。
私は沖縄国際大学で学ぶと同時に、サッカー部に所属し、仲間とともに「九州大学サッカーリーグ1部残留」という目標に向かって、日々努力を重ねています。
私たちの練習は、毎朝7時というとても早い時間から始まります。しかしその時間帯には、米軍機のエンジン調整音が大きく響き渡ることもあれば、米軍機の離着陸を眺めながらボールを追うこともあります。「また今日も飛んでいるな」と思うたびに、少しの緊張と不安を覚えるのです。
それは、「また落ちてこないだろうか」という、言葉にはできない恐怖でもあります。

今から21年前の8月13日、この沖縄国際大学のキャンパスに米軍のヘリコプターが墜落しました。
幸いにも死傷者は出ませんでしたが、学び、部活動に励む学生が集うこの場所にヘリが落ちたという事実は、決して忘れてはならない出来事です。

私たちが「当たり前」と思っている日常は、ほんの一瞬で崩れてしまうかもしれない――その不安が、私の大学生活の背景には常にあるように感じます。
私はサッカーを通じて、仲間と目標を共有し、努力を重ね、悔しさも喜びも分かち合う経験をしてきました。スポーツには、言葉や立場を超えて人と人とをつなぐ力があります。それこそが「平和」のひとつのかたちであると、私は感じています。
しかし、その平和は決して当たり前のものではありません。爆音のなかで行う練習、飛行機の通過に声をかき消されるミーティング、そして2004年の事故の記憶――沖縄には今なお、「不安と隣り合わせの現実」があります。
日本全体のわずか0.6%の面積しかない沖縄に、在日米軍専用施設の約70%が集中しています。その理由として「地理的に重要だから」「安全保障上やむを得ない」といった説明がなされてきました。

しかし、
「本当に、それが“沖縄でなければならない理由”なのか?」
「この不安や負担を、沖縄はこれからも背負い続けなければならないのか?」
そうした疑問は、なかなか拭い去ることができません。

2004年のヘリ墜落事故の際、日本の警察ですら現場に立ち入ることができず、米軍による管理が続いたと聞きました。これが本当に日本国内で起きたことなのかと、私は驚きとともに、強い違和感を覚えました。
日本、そして沖縄の主権が制限された出来事であったことを、私たちはもっと知るべきだと思います。
同時に私は、「沖縄」と「本土」の間には、基地問題に対する認識の大きなギャップがあると感じています。本土では、沖縄の基地からの爆音や事故の現実がなかなか実感されません。ましてや、沖縄の大学生が毎朝グラウンドで感じているような不安までは、なかなか想像できないのではないでしょうか。
私は思います。「平和を願う」という気持ちは、誰もが持っているはずです。しかし、それを行動に変えていくためには、「自分ごと」として考えることが必要です。
スポーツの世界では、一人が声を上げることでチームの空気が変わり、プレーが変わることがあります。同じように、私たち一人ひとりが基地問題や沖縄の現状に目を向け、自分の言葉で語り、他者と共有することで、社会を少しずつでも動かす力になると私は信じています。

平和は、政府や国際機関だけが築くものではありません。
私たちの日常の中での行動――たとえば、選挙で意思を示すこと、情報を共有すること、友人と語り合うこと――そうした小さな一歩の積み重ねが、平和を育てる種になるのだと信じています。
沖縄の夏は、観光地としてのにぎわいの裏に、戦争の記憶と平和への祈りが息づいています。
私たち若い世代が、日々の生活のなかで平和について考え、行動することこそが、未来を変える力になると私は信じています。

グラウンドに響くボールの音が、いつか平和の象徴になりますように。
そして、空を見上げるたびに、不安ではなく希望を感じられるような沖縄になりますように。
ご清聴、ありがとうございました。

産業情報学部 企業システム学科 代表学生