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大学概要

米軍ヘリ墜落事件

学生による意見発表(2026年度)

文書
「知ろうとすることから始まる平和」

産業情報学部 産業情報学科 
4年次 前原百花


 私が生まれた年である2004年、その夏の8月13日に沖縄国際大学へ米軍のヘリコプターが墜落する事故が発生しました。幸いにも死傷者は出ませんでしたが、当時は十数人の教職員が学内におり、機体の墜落地点や時間がわずかに違っていたら多くの命が失われる大惨事となっていた可能性がありました。事故は県内の新聞やニュースで連日取り上げられ、多くの人々に大きな不安と衝撃を与えました。そして全国でも取り上げられましたが、県内ほど大きな話題とされることはなく、翌日以降はアテネオリンピックの話題で埋め尽くされ事故に関する報道も次第になくなりました。

 事故直後、現場は日本の土地であり大学の敷地内であるにもかかわらず、一時的に米軍によって完全に閉鎖されてしまい、地元の日本の警察や消防、大学関係者などでさえも中に入ることが出来ず、日本側は一切この事故についての現場調査などを行うことが出来ませんでした。そして米軍は、事故を起こした機体の残骸だけでなく、機体で汚れ抉られた事故現場の土までも独自にすべて回収して足早に去っていきました。この理不尽な光景こそが、沖縄が今なお抱え続けている基地問題や、日米地位協定をめぐる課題を象徴していました。

 私はこれまでの人生の中で、米軍基地の存在を当たり前のように感じて、その文化を享受してきた一人です。沖縄で暮らす若者にとって、基地がある風景や軍用機が飛行する光景は、心のどこかでストレスを感じながらも、「沖縄だから仕方がない」と当たり前のものとして受け止めてしまい、行動を起こすことが少なかったように思います。私自身、生まれ育ったのが南部だったこともあり、日常的にヘリが上空を激しく飛行する環境ではありませんでした。米軍基地もすぐ身近にあるものではなかったため、ニュースなどで見る基地問題についても、どこか他人事のように捉えていた部分がありました。

 しかし、そんな私の基地に対する見方は、成長とともにだんだんと変化していきました。最初のきっかけは、中学の頃の担任の先生の話でした。先生は、過去に大学で起きた米軍ヘリの墜落事故の当時、在学生だったそうで当時の状況を話してくださいました。話を聞いた当時はそんな事故が大学という学びの場で起きたのかと驚き、私自身が沖縄国際大学に入学してからは、その言葉が過去の話ではなく現在まで続いている大きな課題であることを実感しました。

 現在、大学の講義中に、先生の声が全く聞こえなくなるほど大きな音が響き渡ることがあります。ほんの数十秒の騒音ですら聞くに堪えないと感じるたび、私は基地のすぐ周辺で暮らす人々が、一体どのような思いで日々を過ごしているのかを深く考えるようになりました。そして、かつてこのキャンパスで起きた事故を知ることで、「いつかまた、自分の頭上で同じような事故が起きるかもしれない」という不安や恐怖が事故から22年が経過した現在でもこの場所に確かに消えずに残っているのだと気づかされました。事故が再び起こるかもしれないという恐怖と基地という存在の複雑さを、本当の意味で自分自身の問題として捉え直しています。

 この事故のように日常を脅かす悲劇が繰り返されないようにするには、私たちがこの状況を変えていけるように行動を起こすことや、米軍基地の問題を沖縄県だけで考えるのではなく、県外の方々にも考えてもらえるような情報発信が必要だと思います。私もかつては、沖縄の基地問題をどこか他人事のように捉えていました。しかし、知ろうとすることで、その見え方は大きく変わりました。だからこそ、身近な出来事にも、世界で起きている出来事にも目を向け、知ろうとする姿勢を持ち続けることが大切だと考えます。知ろうとする第一歩。それこそが、平和を実現するための確かな第一歩なのです。




学習者の視点から、平和の継承を考える
総合文化学部 日本文化学科
3年次 本盛夢来 

 本日、私は学生代表としてお話しさせていただきます。しかし、私は「平和学」や「政治学」を専門としているわけではありません。そのような私がここに立つ意義は、基地問題から少し離れた分野を学ぶ学生の視点をお伝えすることにあると考えています。
そこで本日は、「学習者の視点から、平和の継承を考える」というテーマで、私の専門分野である図書館情報学の分野と引き付けながらお話しさせていただきます。
 私は、沖縄国際大学に入学して3年目になります。しかし、本学が「世界一危険な大学」と呼ばれていることについて、入学当初は、まるで他人事のような感覚で学生生活を送ってきたように思います
 戦闘機の爆音は、防音設備の整った校舎内にまではそれほど響きません。騒音によって、講義が一時中断されることが、これまでになかったわけではありませんが、そんな時、私も周囲の学生も特に反応することなく、ただ音がやむまで待っているだけした。
 もちろん、こんなふうにぼんやりとしている間にも、22年前の今日のような事故が再び起こる可能性は否定できません。それにもかかわらず、少なくとも、入学当初の私は強い危機感を抱くことなく、基地を日常の一部として受け入れてきたように思います。
 私がこのような態度でいられた背景には、ヘリ墜落事件から1年後に生まれた世代だからという点もあるのかもしれません。私にとって基地は、生まれる前から存在していたものです。私自身の人生よりも長い歴史を持つ存在であるからこそ、上の世代の方々と同じ熱量で基地問題に向き合えない部分があるように感じます。そのような私たちの認識を、「所与の現実」という言葉で表現した方がいると最近になって知りました。私は、この感覚をよく表した言葉だと思います。

 このように、基地の存在を日常として受け入れて育った私ですが、沖縄に生まれ育った者として、テレビや新聞の報道を通して、沖縄戦や基地問題をはじめとする沖縄の課題に無関心であってはいけないという思いもありました。
 そのような思いから、私は、大学入学後に「沖縄戦」や「沖縄の歴史」に関する講義をいくつか受講してきました。そして、様々な知識を吸収するなかで、自分の専門である図書館情報学の分野から沖縄が抱えている問題に対してどのようなアプローチを行っているのか、という問題意識を持つようになり、2年生の6月から7月にかけて、沖縄県内の図書館で開催されていた「戦後80年」の取り組みを調べることにしました。
 沖縄県内の多くの図書館では、「戦後80年」に合わせて、沖縄戦や戦後の復興、そして基地問題など、さまざまな資料の企画展示が行われていました。私自身も、学習者の一人として、さまざまな資料に触れる中で、沖縄が歩んできた苦難の歴史は過去の出来事ではなく、「世界一危険な大学」で学ぶ私たちにつながる問題なのだと考えるようになりました。 そして、私たちの世代が感じる「所与の現実」という感覚が決して当たり前ではないと気付くことができました。また、SNSや生成AIのように、自分の見たい、居心地のよい情報だけが集まる情報空間ではなく、時には目を背けたくなるような情報も平等に提供してくれる図書館という場所が重要なのだと身をもって感じるようになりました。
 図書館は私たちの基本的人権の一つである「知る権利」を保障するための情報空間です。誰もが無料で資料にアクセスできる環境が保障されているからこそ、私たちは多様な考え方に触れ、自ら判断し、社会に参加することができます。 つまり、「知る権利」を保障することは「参政権」の実質化としての側面があるということであり、その意味で、SNSの時代だからこそ、図書館は「民主主義の最後の砦」だと感じています。

 今年の3月に起こった辺野古沖での痛ましい事故を受けて、教育における政治的中立性の在り方が問題視されています。こうした流れは今後、沖縄の図書館にも及んでくるかもしれません。しかし、私は、図書館における中立性は、Aという意見を持つ資料とBという意見持つ資料を、単に一対一というようなバランスで取り扱うことではないと思います。なぜなら、「国家」と「個人」というように、AとBという意見は対等な力をもっているとは限らず、前提として不均衡な関係にあるかもしれないからです。こうした観点から、私は本学図書館で、基地問題や沖縄戦をテーマとする資料展を企画しました。この実践を通して、図書館の中立性をどのように実現するか、そしてなにより、より多くの人が、沖縄戦や基地問題、そして平和について考えることができる場をつくるにはどうすればいいか、という課題に取り組んでいます。お帰りの際にはぜひご覧いただき、ご感想をお寄せいただければと思います。
 私はまだ学びの途中にいる学生であり、本日お話しした内容についても、さまざまなご意見やご指摘があると思います。ですが、私もまた、「知ること」と「学ぶこと」を支える専門職である図書館司書を目指す学生として、さまざまな立場の人との対話を通して、平和の継承と民主主義の実現に関わり続けていきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。