文字サイズ

社会文化学科のブログ

ブログ

地方と地域―多摩と東京―

教員の研究活動
社会文化学科で歴史学(前近代史)の科目を担当しています深澤秋人といいます。出身は東京都立川市です。かつては武蔵国多摩郡、廃藩置県のあとしばらく神奈川県でした(のち東京府に移管)。JR中央線で新宿からは40分、羽田空港からは2時間程度かかります。三多摩と称される東京でも西の「地方」といえる地域です(立川は北多摩)。たとえば、中高校生の頃、中央線で都内に出かける時は吉祥寺を境にして「東京に行く」と言っていました。神奈川や千葉は「東京」のさらに遠くの世界でした。

ところが、今から20年程前に帰省した際、羽田から京浜急行に乗ろうとした時、三浦半島まで1時間で着くことに遅ればせながら気づきました。実家よりも近いことに衝撃を受けました。研究テーマが対外関係史であることもあり、以来、2010年代にかけて、立川に移動する前に中近世の関東の海上(水上)交通と陸上の結節点となった港町・河川や博物館に意識して足を延ばしました。列挙すると、浦賀・横須賀・六浦・横浜・神奈川(以上、神奈川県)、品川・佃島・小名木川・中川・旧江戸川(以上、東京都)、関宿(千葉県)、平潟(茨城県)などです。当初からこれらの目的地を決めていたわけではなく、一つ訪れるごとに次の場所が見えてきました。点が線になっていくのを実感しました。
その積み重ねで、港町では景観や機能の違い、博物館の展示では運ばれた商品や作物の産地を考えるようになりました。また、踏査した各地の市町村史をめくって未見の地域史料に接する楽しみを知りました。そして、「中央」の都内もいくつもの地域が重なっていることを感じました。現地を訪れることにより、身に沁みついた東京のなかの中央と地方の感覚を克服できたように思います。これらが近世琉球の対外関係史研究のヒントとなったことはもちろんです。

これまで、私にとっての多摩は地元であることが真っ先で、学生の頃から研究の対象や関心事にはあまりなりませんでした。しかし、10年余りかかってスタートラインに立てた現在、ここ数年踏査は中断していますが、いよいよ多摩の歴史に触れるべく、意図をもって歴史の場や博物館を訪れ、市町村史に接し、研究者として地域の歴史を考えてみたいと思っています。