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社会文化学科のブログ

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「正しい」って何ですか?

先生の本棚
 こんにちは!今日は、本の紹介をしたいと思います。

 皆さんは、「正しさ」についてどう思いますか?昨今、社会ではたくさんの「正しさ」が飛び交って喧嘩状態になっています。例えば、ある人は「夫婦はそれぞれ異なる人格なのだから、夫婦別姓を選択できるようにするべきだ」と主張し、それに対して「好きな男性と同じ姓に変われるのが女性の愛情だろう、家族は同姓であるべきだ」と反論する人もいます。「生活の場に軍事基地は要らない、自分たちだけ迷惑だ」と主張する人もいれば「国民皆の安全のために我慢して軍事基地を受け入れるべきだ、わがままは許さない」と反論する人もいます。

 それぞれの主張はそれぞれにもっともな気もするし、「結局、誰が正しいの?偉い人に決めてほしい!!」「大人が考えればいい、若い自分たちには無理」という気持ちになって、考えるのを放り出してしまいたくなるかもしれません。大人に聞いてみたら「正義の反対は別の正義、決着なんかつかないんだよ」なんて返ってきたり…ちっとも話は進みません。

 「何が正しいのか」についての議論をマスコミや政治家に任せていた昔と違い、今では誰もがSNSを使って「これが正しい!」と自分の考えを発信できます。多様な意見が溢れ出すこの状況、決して悪いことばかりではないのです。むしろ、一部の「偉い人」に偏ることなくみんなが平等に自分の意見を言えるようになったという意味では、社会の進歩とも言えるでしょう。

 でも、社会は色々やかましくなっただけで大混乱、こんなことならいっそ…誰かにズバッと決定してもらいたい?それはとても危険です。どんなに強い人も偉い人も、独りよがりな考えだけで社会を良くすることはできないのです。みんなで意見を出して考えなくては誰かの好みや都合だけに偏ってしまいます。

 だから、今必要なのは、多様な意見を調整して合意をまとめていく技法です。それを考える参考になる本を見つけました。朱喜哲(チュ・ヒチョル)さんの『〈公正〉フェアネスを乗りこなす:正義の反対は別の正義か』(太郎次郎社エディタス、2023年)という本です。

朱喜哲『〈公正〉フェアネスを乗りこなす』

 この本では、アメリカの政治哲学者ジョン・ロールズの考え方をもとにして、「正しいことば」を上手くまとめる方法を考えていきます。

 ロールズは、「正義」と「善」を区別しよう、と提起しました。「善」は、人それぞれの価値観です。誰しも、「これが正しい!」というそれぞれの「善」を信じて生きています。「善」はとっても多様で、ときにぶつかり合うこともあります。

 これに対して、「正義」とは競合する多様な「善」を調停し、合意したものです。公正な議論の結果、違いを超えて社会的に合意したものが「正義」でみんなが守るべきルールとなります。

 ここでいう「公正」とは、お互いにとって利益があるようにみんなで一生懸命工夫することです。現にともに生きている私たちは、公に協力するために何がしか我慢しています。この我慢にそこそこ見返りがあるようにするのが政治の役目ですね。一生懸命工夫して、みんなある程度我慢する代わりにそれぞれの見返りがある社会では「ほどほどバランスが取れている」=「そこそこ正義が実現できている」と捉えられます。

 日本では、この考え方がなくて「正しさ」が混乱しがちだそうです。善と善がぶつかり合い、しまいには何が正しいのか考えるだけ無駄、なんて無力感に陥ってしまう。これも、善と正義を見分けていないからなのですね。

 それに、日本の道徳教育では正義や公正が個人の心の問題だと教えられます。個人が偏らないように、と教えられる。そんなこと神様でもない限りできません。できないことをふっかけられるから、生徒たち(と大人=元生徒たち)は「正しさなんて無理なんだ」と学んでしまいます。さらに、正しさが個人の心の問題なら、それぞれ勝手な正しさを言い立てても仕方がありません。

 ロールズ式ならその混乱は避けられます。私たちはそれぞれの立場とそれに応じた価値観があります。誰もが偏っています。それはそれで構いません。公正であるべきなのは社会です。社会が公正であるなら、それは「そこそこ正義」なのです。



 …という内容の本です。それぞれの意見があることは認めましょう。自分の善を押し付けることはせず、誰かの善が一方的に論破するのではなく、みんなの利益バランスを考えればいいんだよ、ということですね。思えば、私たちは自分の善を他人にも共有させようとして無駄骨を折ってないでしょうか?あるいは自分の善を引っ込め他人の善に従わされて苦しんでいるのではないでしょうか?そうやってやっつけ合うしかないのでしょうか?そうではなく、ロールズ式に、善は自分の気持ち、みんなの正義は利益のバランス、というように分けて考えると少し話がしやすくなるのかもしれないと思いました。


(崎濱佳代:社会学)