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日本文化学科のブログ

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【2023年度・沖国日文琉歌大賞の入選作をご紹介します!】

1年生、頑張ってます!
報告がたいへん遅くなりましたが、2023年5~6月にかけて開催した日文恒例行事の「沖国日文・琉歌大賞」。
多くの応募の中から日本文化学科の我部先生・西岡先生・田場先生・名桜大学の照屋理先生の4名での選考会議、ならびに琉球文化論を受講しているみなさんの投票の結果、下記の作品が入選となりました。
おめでとうございます。

写真は、受賞式の写真です。これからも琉球文化を身近に感じて色々と興味を深めていってほしいものです。



【沖国日文・琉歌大賞 入選作品】
●学生賞
 肉まんを買って、半分こしよう。少し大きめに 分けてあげる。 (宮城さん)
【寸評】琉球語に直すと「ニクマンヤ コヤイ ハンブンシ サビラ イフィグヮ マギサミニ ワキティ トゥラサ」と読むことができる。
日常、それも、子どもが行うような日常をほのぼのと切り取って描いている。情景がいかにも目に浮かぶようだ。大和口で読み上げてもリズムが良く、しっくりと行く。

●選考委員特別賞
〇我部大和賞
 沖縄忌迫る 美らさぬ海から 悲しき声聞き 平和願う (島田さん)
【寸評】俳句の季語「沖縄忌」を琉歌に交えた挑戦的な句。反戦の句としても海と悲しき声を聞くというのもよい。「沖縄忌」という、県内でも浸透しているとは言いにくい、六・二三を表現する言葉を選んでいる点がまず評価される。ただ「美らさる海」を「美らさぬ海」としている等、方言の誤用が見えて残念。

〇照屋理賞
 朝目が覚みね 学校に行ちゅん 私起くちたぼり 私の親 (金城さん)
【寸評】実家を離れた若者だれしも経験する瞬間であり、親のありがたさ、愛を再認識させられる瞬間を切り取った作品といえる。

〇田場裕規賞
 礎の名前 触れて あがたの世 悼む 「戦 起きてならん」 おじーの 言葉  (普天間さん ※人間福祉学科からの受講生)
【寸評】平和の礎に詣でた作者の思い出が、ありありと描かれています。名前をさする姿は、胸が締め付けられます。平和の礎は、作者と読者の共感したものの中にあるのかもしれません。

〇西岡敏賞
 平安の時世 戦場の景色 二つ繋げるは 祖母の涙 (宮城さん)
【寸評】琉球語に直すと「テエミユヌ ジシイ イクサバヌ チシチ フタツィ ツィナジュスィヤ んメヌ ナミダ」となる。「平和」と「戦場」という対になる概念を巧みに並置し、それを統合する存在としての「祖母」(戦争体験者)の役割の大切さ、あるいは、沖縄の現代的問題を強く喚起させるものとなっている。作者の祖母に向
ける眼差しが愛おしい。現代と戦中の時代を越えて繋ぐのは、戦争を経験した祖母の涙を読んだ素晴らしい句。

●佳作 
いみにげー かない くーくぇーや ねーん くらびるな なまとぅ ちむや ぬちゅん (水野さん)
【寸評】「イミニゲー カナティ」とするのが良いでしょう。「イミニゲー」という琉歌らしい言葉の選択が素晴らしいです。「くらびるな」と直接的に言わずに表現する方法を考えるとよいでしょう。「イミニゲー」に焦点化するのであれば、ナマニナティ シユル ウツィツィググル」とい結んではどうでしょう。現心:正気、あるいは
、夢見心地。大学生らしい内容と「夢」をしっかり「いみ」と記すなど、音の表記も含め評価される。ただ「後悔」は「くーくぇー」と借用する
のではなく別の語彙や表現をしてほしかった。

●佳作
晴れた 南ぬ島 澄んだ サンゴ礁 これからも 永久に 島の 宝   (石垣さん)
【寸評】琉球語に直すと「ハリヌ パイヌ シマ スィダル サンゴショー クリカラン トゥワニ シマヌ タカラ」となる。琉球列島の自然、特に海洋の美しさを大らかに詠み、永遠に「島の宝」とすることを高らかに宣言している。沖縄の現状を考えると、素朴に歌い上げられている内容に力を感じる。素直、率直に思いをのせているところに好感がもてます。「慰霊の日に歌っている作者には、大きな決意が秘められていて、この美しい景色に誓っているように感じられました。パイヌシマという八重山方言のような語を使った句。少し、戦争から着想を飛ばして表現も含めて面白い。もう少し琉球語での表現が多くできるとさらによかった。

●優秀賞
 カタブイと カタオモイ 降られ 振られても なんくるない (新川さん)
 カタブイトゥ カタウムイ フラリ フラリティン ナンクル ナイ
【寸評】「仲風形式」であるが、上句「カタ」(片)の対比と、それが下句の「フラリ」(降られ・振られ)につながるところは技巧的に秀逸である。歌のリズムにのって情景と心情が結びつき、「ナンクル ナイ」の締めも見事である。何かすごくオシャレで、失恋のダメージをすぐに回復させてくれそうだ。「カタブイ」と「カタオモイ」の対比が意外で面白く、また意外である2語を動詞「ふる」でつなげた点が評価される。沖縄の片降りと片思い、降ると降られるをかける。短い仲風でリズムよく面白い。カタブイトゥ カタウムイ フティンフラリティンハラチタボリ

●優秀賞
 イユに 導かれ 進む イノー道 海と天 しざま 永遠に あらな ( 洌鎌さん ※社会文化学科からの受講)
【寸評】「イユニ ミチビカリ スィスィム イノーミチ ウミトゥ ティン シザマ トゥワニ アラナ」ウミンチュの日々の営み、それを包み込む壮大な自然。イユ、イノー、ウミ、ティンと人が接する世界が拡大していく。そして、それを永遠にあってほしいと願う心。魚を追うという一つの行為から、時間と空間の広がりへと展開させ、最後、現存在の願いへと戻ってくる表現がとても見事である。平安座島のサングヮチャーで行われるナンザモーイでは魚の神輿と共にナンザ岩に向かって海を渡る。潮が引いたことで珊瑚が見え
、その中で海と空が続く美しい様子は永遠にあって欲しい。 イノーは沖縄の漁撈において重要な場所。生活を支えているイノーと天をつなぎ、祈る様子が表現されている。

●大賞
 うりずんがなれば 父の花咲きゆり 道明く染める 夏の美らさ (玉城さん)
【西岡先生 寸評】 ウリズィンガ ナリバ オトオ ハナ サチュイ ミチ アカク スミル ナツィヌ チュラサ
沖縄で見られる自然の美しさ、それも道を彩る印象的な風景を強く我々に呼び起させる。「父」という親しい個人的存在と花の美しさがつながるところも妙である。「うりずん」から「夏」という季節の変化をセンシティブに表すところも秀逸である。
【田場先生 寸評】 組踊の中の「四五月になればでいごの花咲きゆい~」のレトリックをおさえた秀作。「父の花」は作者の呼称としてチチノハナと読ませてもいいと思います。父の花が道をアカク染めるという発想は、個から普遍を見出す歌の力を感じさせます。
【照屋先生 寸評】まさに琉歌らしい琉歌であり、沖縄地域の季節を詠み込んだ内容をはじめ、方言語彙の選び方や表記方法など、かなりレベルの高い作品といえる。
【我部 寸評】 初夏の季節にさく父の(育てた)赤い花の美しさも含めて良い表現。