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【2023年4月】東海大学(台湾)上地さん 経済学部地域環境政策学科

東海大学(台湾)
台湾を、全身で感じる

4月が終わってしまいました。日本では新生活がスタートしている時期でしょうか?
私は帰国へのカウントダウンが迫る中、今月は、台湾へ留学にきた意義をすごく果たした月だったのではないかと思います。
私が好きな台湾を、自分の身を以ってより深く理解できた気がします。

(言語について)
帰るまで、もう後3ヶ月を切りました。そして今月は、台湾に来て半年が経った月でした。先月までは、言語について悩むことが多かったのですが、今月はそれをあまり感じなかったような気がします。少し前の私と比べると、冗談を言い合えるようになったり、自然に会話ができるようになったり、成長を少しだけ感じます。それも台湾人の友達が日本語を覚えてくれたり、私の中国語を理解してくれたりしてくれているからかなあと思います。いつもありがとうと感謝の気持ちでいっぱいです。
あと、今月発見したのは、言語を勉強していると、必ず多くの文章を書かされると言うことです。私はもともと作文を書いたりするのが苦手なのですが、こうやって文章を書いたり、語学学校の中でも作文を宿題として出されることが多く、嫌でも文章を書きます。
自分自身、文書を書くのが苦手だと思っていたのですが、書いてみると意外と書ける!ということを発見しました。書けると言っても、自己流なので毎日たくさんの間違いに気づき、日々奮闘しています。しかし、この理由は台湾に来てほぼ毎日寝る前に付けている日記のおかげかもしれないと思います。前期は、日本語で書いていたのですが、今期に入ってから(年が明けて少ししてから)は、中国語で書くことに、少しずつチャレンジしていました。自分が言いたいことを、一旦日本語にしてみたり、そのまま中国語で考えて書いてみたり、話す時とは違って、文法に気をつけながら書くのもいい練習になっています。この習慣のおかげか、中国語で文書を書くときに文字数に困るようなことはあまりなく、来た時よりもスラスラ書けるような気がしています。まだまだ完璧とは言えませんが、来た頃よりははるかに成長を感じられて少し嬉しくなります。さらに精進していきます。

今月は、月初めに日本のゴールデンウィークのような長めの連休があり、違う市へ旅行をしました。新しくなった日々にはもう慣れて、毎日が秒速で過ぎて行っています。
平日は毎日授業を受けて、ご飯を友達と食べて、残りの台湾生活を惜しみながら、今しか過ごせない時間を過ごし、週末には旅行に行ったり、課題をしたり、そんな毎日です。振り返ってみると、毎週末どこかへ遠出していました。

4/2-4台南へ、ヨーロッパの建物に触れる
4/4-5嘉義へ、初めての街
4/8 弾丸台北、私の冒険
4/15台南 語学学校fieldtrip
4/21-23 南投へ初めての山登り
4/24大甲媽祖遶境(年に一度の台湾の神様のお祭り)
4/30大甲媽祖遶境最後的一天

冒頭に書いたように、今月は本当に、台湾を自分自身の目で直接みて、心で感じて、私が台湾に来たかった理由を、体現したようでした。
それは、4/7の言論自由の日のことです。
私は、台湾で買った台湾の手帳を使っています。なので、日本では見たことないい休日をよく目にします。4/7、いつものように手帳を見ていると「言論自由日」と書かれているのを発見しました。気になった私は、「これはなんの日?」と文字を添えてSNSに投稿しました。するとすぐに、台湾人の友人たちがこの日について教えてくれました。私は、そのみんながその日について知っていることにも驚きました。日本の若者はどれくらい国の大切な日について知っているだろうか。
結果、その日は、『鄭南榕』という台湾の自由運動の代表の方の命日でした。彼は、台湾の自由のために、自分の命を犠牲にしました。台湾にとって、とても大切な日だと、台湾の友人たちが教えてくれました。台湾は、昔、現在からは考えられないような辛く残酷で悲しい歴史を持っています。しかも、その時代は、今からそんなに遠くない昔のこと、30年前、私たちの親世代が私たちくらいの年齢の頃の時代です。その頃台湾では、「白色テロ」という時代でした。自由に言葉を発信したり、報道したり、意見を主張することができませんでした。多くの知識人が犠牲になりました。
話は戻りますが、その時代、鄭南榕は出版社を立ち上げました。そして、彼は、自分の事務所で焼身自殺をし、自らの命を持って、台湾の自由を叫びました。彼は、最後の最後まで、自分の意見を貫き、この世界から去りました。私は、その事実を知って、いてもたってもいられず、翌日には台北にある彼の記念館を訪ねました。そこは、実際に彼が設立した出版社の事務所の部屋を利用して作られています。その部屋は、実際に彼が命をたった場所が、当時のまま保存されています。私は、実際にその部屋を見たときには、いろいろなものがこみ上げて来て、言葉では表現することのできない感情になりました。

実は、その記念館では、案内人の方とお話しすることができ、拙い中国語でしたが、日本語が少しできるスタッフの方の力を借り、自分の思いを伝えたり、お話を聞かせてもらいました。なんと、そのスタッフの方は、沖縄に行ったことがあり、その際に辺野古の基地へも訪れたことがあるとのことでとても驚きました。
台湾に来て思うことは、台湾のかたの自由さを強く感じるということです。しかし、その自由は、自らで勝ち取った、自由から来ていると思います。日本には、そのような経験があまりなく、さらに70年という長い年月平和に暮らすことができています。
私は、自由を、国民一丸となって勝ち取ったという事実から、沖縄の瀬長亀次郎のことを思い出しました。彼は、沖縄のために闘った人物であり、鄭南榕と重なるところがあるなと思いました。人民のために、自らの人生をかけて、訴えを続けるという精神は本当にすごいなと思います。
現代からは、想像がつかない世界が歴史の中には存在していて、それから私たちは何を学べるでしょうか。同じ時代は2度とは来ないのかもしれないけど、私たちはこれからどう時代を作っていけるだろうか。
手帳の中の一つの記念日から、ここまでの冒険になるとは思ってもみませんでした。皆さんにも、留学に来た際には、その土地の手帳を買うことをおすすめします。その地域のことをより理解し、何か大切なことを教えてくれるヒントになります。

(初めて嘉義に行った)
なぜかずっと嘉義に行きたいと思っていました。それが、今月やっと念願を果たしました。初めて降り立った嘉義は、とても新鮮な台湾でした。
私がいつもみている、住んでいる台中や台北よりかは、もっとみんながイメージしているような台湾のローカルさはもっているものの、台南で感じるような伝統的な台湾からは少し離れていて、現代の世界へと向かって発展しているような街並み。
しかし、発展はまだ完成しておらず、私が育ってきた時代では経験できないような街の雰囲気を感じられました。
私は、大学で台湾の映画に関する授業をとっていますが、1980年代から1990年代の台湾の映画をよくみます。その映画のなかでみているような風景が、嘉義には広がっていました。
また、予想外だったのですが、嘉義は、なんと日本統治時代に台湾代表として甲子園出場を果たした高校がある場所でした。それは、「KANO」という作品名で、日本で映画化もされています。その舞台となった球場に足を運んでみたり、その中に隣接されている昭和をモチーフにした博物館に行ったり、日本との繋がりも色濃く残っている街を見て回りました。
また、文化的側面の興味深さだけでなく、嘉義には、台湾1、世界一美味しいジューローハンがあります!台湾の友達おすすめのしっかり列をなしているお店へ行き、初めて嘉義のジューローハンを食べました。噂には聞いていたのですが、本当に、これまで食べたことがないくらい美味しかったです。少し台北からは遠くなってしまいますが、ぜひ嘉義にジューローハンを食べにくることを強くお勧めします。

(高校生たちと交流・台湾の文化に触れる)
4月24日に、大学が主宰している高校生との交流に参加しました。ただの交流という形ではなく、なんと「大甲媽祖遶境」という台湾の神様の祭りに一緒に参加するという内容でした。台湾の高校生と交流するのは初めてのことで少し緊張していたのですが、一緒にバスに乗って移動する道中から台湾の高校生のパワフルさに驚いてばかりでした。バスの中では、みんなでカラオケをしていて、クラスみんなで大合唱のようになっていて、とても可愛かったです。そして、このお祭りは、年に一度、神様を担いで九日間かけて各地を巡行します。私たちも神様たちと一緒に12キロの距離を歩きました。こんなに長い距離を歩くとは思ってもおらず、途中でとても辛くなりましたが、高校生の子たちが私たちにいろんなことを教えてくれて、おしゃべりをしたり励ましあったりして、何とか最後まで歩くことができました。また、沿道には、たくさんの食べ物や飲み物を無料でもらうことができ、中にはスイカやかき氷など、これ無料で食べていいの?!と思うものもありました。少し、那覇マラソンの沿道の雰囲気を思い出しました。また、このような食べ物や飲み物を配布するだけでなく、家のまえに神様への御供物が置かれていたり、うちカビを家のまえで燃やしていたりするのは神様を迎え入れるためであり、それは沖縄の何倍をも神への信仰心が高いなということを感じました。神様がくることをお知らせするために、爆竹を鳴らしたり、花火を打ち上げたりもしていて、慣れていない私は、たびたび驚いてしまっていました。さらに、本当に多くの人がこの祭りに参加していました。今年はコロナが明けて、久しぶりに正式に行われていたようで、台湾の人が全員ここにいるのではないかと思うくらいの人でした。本当に長い距離を歩き、疲労困憊でしたが、この日は、私にとって、台湾の高校生と交流するという経験だけでなく、台湾の文化に大きく触れることができたようで深い思い出になりました。

たくさんのことを吸収できた、ものすごく濃い1ヶ月でした。伝えたいことが多くなってしまい、文章も長くなってしまいました。ここまでお読みいただきありがとうございます。読んでくれた方に、台湾を知ってもらい、自分の国をも考えるきっかけを与えることができたら嬉しいです。
もうすぐ、本当に帰国が近づいてきていますが、全然実感がありません。
しかし、ここでしかできないことを、思いっきりやり切りたいなと思います。
また、ここでできた友達との時間を惜しみなく過ごすことと、これまで過ごしてきた私の台湾を記録していくことに重きを置いて過ごしていきたいと思います。